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今年は光栄にも、
"Harvey Lowe Lifetime Achievement Award"の賞と合わせて近代アメリカヨーヨー史では偉大な存在である、
スチュアート・クランプさんをお招きする運びとなりました。
スチュアート・クランプさんは、最長発刊記録を持つヨーヨー雑誌、"Yo-Yo Times"の編集者"Professor Yo-Yo"として、
ヨーヨー業界ではよく知られています。
我々の多くがそうであるように、スチュアートさんはプロのデモンストレーターとして、ヨーヨーを紹介していました。
しかし彼は、コンテストや学校でのデモンストレーションで、ヨーヨーマンに会うコトはありませんでした。
家族旅行でサウスカロライナ州チャールストンへ行ったとき、クランプ一家は、ロイヤルヨーヨーのオーナーである、
Joe Radovanさんの家の4件となりに滞在するという、すばらしい運命にありました。
時は1954年、毎晩スチュアートさんとご兄弟は、ラドヴァンさんがヨーヨーに関する仕事をしているのを見ていました。
スチュアートさんはその夏に、、初めてのヨーヨーとして、20セントのジュエル・ロイヤルヨーヨーを3個、買いました。
ラドヴァンさんは、そのヨーヨーに島の絵を彫り、その少年が基本的なトリックを習得できるよう応援しました。
家に帰った後、スチュアートさんは、女の子達が彼の新しいヨーヨーのスキルに注目したコトをうれしく思いましたが、
その玩具はしだいに忘れ去られ、1960年までは、引き出しの中で眠っていました。
その年は、ダンカンのヨーヨープロフェッショナルが町へ来て、小さなヨーヨーブームを起こした年でした。
スチュアートさんは引き出しからヨーヨーを取り出し、彼の兄弟から結婚祝いとして銀のヨーヨーをプレゼントされた
1972年まで続けました。
1980年、クランプ兄弟は新設の携帯電話会社向けのサービスとして、"Cellular Radio News"という重要な新聞の刊行を始めました。
スチュアートさんは1985年、スマッシャーズ・ブラザーズのパフォーマンスを見た年、
ラスベガスで行われた電子機器ショーでの新聞の大きな成功を支えました。
トム・スマッシャーズさんは"Yo-Yo Man"という演目を彼のショーの中に取り入れていていただけでしたが、
スチュアートさんは、見るたびに興奮していました。
1987年、彼はトム・クーンさんから、当時の最新ヨーヨーであるSilver Bulletを贈られました。
トム・クーンさんとの電話は、ヨーヨープレイヤーたちの間でのコミュニケーションに必要なものについての結論を生みました。
こうして、"Yo-Yo Times"のアイディアが生まれたのです。
1988年、初版が発行されました。 黄色のページで、新しいトリック、ヨーヨープレイヤーやメーカーへのインタビュー、新商品の発表、コンテストの情報、
ビデオやストリングの広告などが載っていました。 言い換えれば、それにはプレイヤーたちが必要とする情報が全て掲載されていて、そして瞬く間に最新のヨーヨー界のつながりを
強めるものとなりました。 Yo-Yo timesは、ヨーヨーを今日のような世界的、活動的なスポーツへ成長させるため、人々に対しヨーヨーイベントの告知をしたりする上で、
きわめて効果的でした。
現在15周年を迎え、その新聞は日に日に強力になりましたが、
形態を過去の紙面からインターネット上での公共の電子文書に変え、
現在スチュアートさんは娘のジョディーさんと一緒に、編集作業を分担して行っています。
彼の新聞以上に、
スチュアート・クランプさんは"It’s Yo-Yo Time"やYomegaのオフィシャルトリックブックなどの
多くの本の執筆を通して、ヨーヨー普及に貢献してきました。
彼は多くのコンテストに出場し、1995ワールドヨーヨーコンテストのアドバンスド・シニア部門においても優勝しました。
また、個人的にも、国中でヨーヨーエンターテイナーとしてパフォーマンスを行ってきました。
彼は特に若い人々に対し玩具を紹介するとき、熱くこう語ります。
"私は、大人になるまで、子供であった私に対するヨーヨーという物の衝撃に気づかなかった。"
是非我々と一緒に、"プロフェッサー・ヨーヨー"こと、スチュアート・クランプさんを、
2003ワールドヨーヨーコンテスト生涯功労賞受賞者として迎えましょう。
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